高知県立美術館『野町和嘉写真展』に行ってきました

地元に帰ったついでに、高知県立美術館にも立ち寄りました。

 

久々のアート鑑賞です。

入り口に続くアプローチ。

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何度歩いてもテンションが上がるものです。

 

絵画の展覧会はよく行くのですが、写真展に出掛けたのは今回が初めてです。

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写真家の方に失礼なのですが、写真ってアートなのかな?とずっと疑問に思っていたもんで・・・(^◇^;)

絵画のように一筆ずつ創作していくアートとは違い、写真ってただ景色を写しているだけじゃんって思ってたんですよね。

けれども最近は、美しい写真の取り方をSNSで発信されている方の投稿に触れる機会も増え、写真は「被写体を使って幾何学的な創作物を描き出すアート」だと感じるようになりました。

被写体を創作的に配置することで、被写体そのものを超えた別の造形美を浮き上がらせるアートというか。

 

今回の展覧会は三部構成なんですが、それが互いにリンクしていて、見応えありましたよ〜!

 

第一部は「地平線の彼方から」と題し、雄大大自然が映し出されます。

 

夕日に染まる巨大砂丘や、漆黒の夜に輝く星。

大地と大空のみの世界に上る満月。

残照に染まる荒野。

ウユニ塩原の天空の鏡に映る、さかさまの青空。

そびえるバオバブの樹・・・

 

日本を出なければ、きっと一生見る事もないであろう景色。

それらが鮮やかなコントラストで目前に迫ってきます。

 

また、その厳しい自然の中で信仰を貫く人々の、ひたむきな姿にもカメラは焦点を当てています。

 

激しい乾きと熱に耐えながら、ひたすら岩場を登る巡礼。

逃げ場のない荒野に、容赦なく吹きつける吹雪の中の巡礼。

両手両膝・額を地面に投げ伏す「五体投地」で聖地を目指す人々・・・

 

辛く厳しい旅の果てに辿り着いた聖地で、人々の頬を伝う涙には共通の輝きがありました。

 

おそらく、彼らは自身が泣いていることにさえ気づいていないのでしょう。

喜怒哀楽のどれでもない、脱力した恍惚の表情。

その頬に、無色透明な涙が音もなく伝っていました。

それは、彼ら各々の葛藤や苦しみ・哀しみが浄化され、体から抜け落ちている瞬間を捉えているようでした。

 

厳しい自然の脅威と、それに立ち向かう術もない人間の切実な祈り。

鮮やかな対比が胸を打ちます。

 

第二部は「シベリア収容所1992」と題し、ロシア社会の闇を映し出した作品が展示されています。

 

囚人たちの生活の様子を眺めていると、自分とは無関係な世界の住人だと思っていた「罪人」の存在が、身近なものに思えてきます。

ほんの一瞬の気の迷い、些細な選択の過ちが、一生罪人であり続ける未来につながってしまう。

誰もが犯し得る罪。

その罪ごと、どう生きていくのか。

第一部のサブテーマである「信仰」ともリンクしていて、よりいっそうやるせない思いで、第二部を鑑賞しました。

 

第三部は「世界遺産を撮る」と題し、大迫力の滝や古代遺産が威風堂々と並びます。

コロナショックで閉ざされていた扉が、全部開いたかのような高揚感で鑑賞しました。

 

野町さんの写真に、知らない世界をたくさん見せてもらったスリリングなひと時。

つい没頭してしまい、あっという間に2時間以上経っていました。

このあとランチと受験を予定しているので、ダッシュで次の目的地に向かったのでした。