「どうして あんな人なんだろう」と言ってしまう

「どうして あんな人なんだろう」
人間関係で壁にぶつかると よく言っていた。

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どうしてあの人は あんなに忘れっぽくて 仕事にならないのだろう。
どうして あんなにヒステリックなんだろう。
どうして あんなにいい加減なんだろう。
もうちょっと ちゃんとしてよ。

使えない人間ばかり。
無能な人間ばかり。
どいつもこいつも無責任で頼りない・・・

 

「どうして あんな人なんだろう」
「私には理解できない」と突き放していた。
原因は 自分の方にあるのかも、
そもそもの仕事の仕組みにあるのかも、
なんて 考えもしなかった。

 

どうしてこんな傲慢な考えに至ったのかと考えると、
原点は24歳の時。
新店の担当になって、店のスタッフを募集する際の面接を
任されるようになってからではないだろうか。

最初は、他人を面接して 能力をジャッジして、
採用・不採用を決めるなんて・・・
自分みたいな若造がおこがましい・・・
なんて ビクビクしていた。

だけど、徐々に面接にも慣れ、
だんだんと気づき始める。

 

この働き手不足のご時世、
仕事の能力が低い人材を採用すると、かえって仕事が増えることに。

教えても、教えても、昨日と変わらず たどたどしいオペレーション。
案の定 クレーム発生。

自分の仕事を振り分けるために 採用した人に、かえって仕事を増やされる。

そして、人をジャッジする癖がついていったのだと思う。
この人は、仕事ができそう。
この人は、要領が悪そう。

自分の妄想で 推し量り、決めつけていた。
その人が失敗すると、
「ああ やっぱり。ダメな人だ」
と 自分の判定眼に自信を深めていた。


その結果の悪害。
①どうせできないと決めつけているから、

周りは頼りない人ばかりになり、
ずっと人材に対する不安がつきまとう。
②解決策を考えることを放棄していることにさえ、気づかない。


「どうして あんな人なんだろう」
この言葉は 問題解決を放棄する悪魔の言葉だ。
最初の一歩を踏み出せなくして、現状に縛りつけてしまう。

 

私は、自分が間違っていると認めたくなかったから、

「どうしてあんな人なんだろう」と人のせいにしてきたんだ。


「どしてあんな人なんだろう」
このフレーズはもう 自分の中から抹殺しよう。

そもそも、人をジャッジしてみたところで
それは単なる自分の思い込みに過ぎない。
相手の実際の能力とは異なる。
それどころか、勝手な思い込みのために
かえって相手の能力を見過ごしてさえいるかもしれない。
余計な先入観やジャッジをする癖を意識して辞め、まずは そのまま相手を受け入れる練習から。


そしてもし、問題が起きたら・・・
「あいつが悪い!」という人を責める視点を変えて、
空高くから 鷹の目で 現象を客観的に捉え直す。
感情を離れて 冷静に見れば、
工夫できる点が見えてくるもの。

 

問題が起きた時、変えるのは現場での仕組み。
改良を加えた 新たな仕組みが完成したら、
後はできると信じて任せる。

 

私のような 慎重なタイプほど、困ったことにならないように あらかじめ策を講じておきたいものだけれど、
現実は予測不能の事態が起こるもの。
リアルに困ってみないと 本当の解決策なんて浮かんでこないのだ。

 

以前は困らされることにイライラしていたけど、困ってみて 工夫してみると、
必然的に 経験値が積み重ねられる。
それは別の現場でも活かされ、
結局はお得なんだと気づいた。

 

昔、NHKの教育番組で人形が歌っていた。
「困った時が チャンスです♪
 頭がよくなる チャンスです♪」
まさにこの精神だ。

 

現場でも、この繰り返しが経験値となり、スキルとなる。
人を責めて相手のモチベーションを下げるのではなく、
仕組みを新たにして 「こうすればできる」と達成感を得る。
人を切り捨てて 問題をスルーするのではなく、全員で引き上がる。
そっちの方が建設的だ。

 

口癖を掘り下げたら、過去の失敗パターンが見えてきた(๑・̑◡・̑๑)