読書記録:西條奈加著『雨上がり月霞む夜』
西條奈加さんが独自の解釈を加え、より切なく、幽玄な世界を表現されています。
『雨上がり月霞む夜』。
こちらも、母のお勧め作品です。
お勧めのラインが熱かったので、そのまま引用させていただきます。
「それぞれの物語(本作は9篇の短編で構成されている)は読みごたえ十分です。
妖かしや幽霊の執念の凄まじさ、恐ろしさばかりではなく、それ程までに愛し求めるその愚かしさと哀しみ、愛おしさも表現されています。
自然の摂理から外れているのは、妖かしや幽霊、獣ではなく人ではないのか?という問いかけ、人は何を求めて生きるべきか・・・というヒントが詰まっています。」
これだけで、立派な推薦文になっていますね。
事実、私も「なんて面白そうなの!」と飛びつきました。
しか~し、私にしては読むスピードが上がらず、何度も中座してしまい、
途切れ途切れに読んだこともあって、あまり印象に残りませんでした(;^_^A
いつものように物語に没入できない原因はなんだろう?と分析してみたのですが、
どうやら、映像をイメージさせるオノマトペや形容詞・・・色や質感など五感に訴える表現が少ないことに、原因があるのかもしれません。
私はどうやら、文章をそのまま読んで理解しているのではなく、
文章から勝手に映像を起こし、その画面を眺めるように、読書しているようです。
この映像化は、以前ご紹介した、『願いがかなうクイック自己催眠』という本の暗示文と同じ手法だと気づきました。
心地よい映像、温度、肌触りをイメージすることで、自分の深い部分に降りていく自己暗示。
耳に心地よい韻律と、イメージを喚起させる豊かな表現によって、
物語の世界に入り込み、そこで体験する「読書」を超えたバーチャルリアリティ。
ある種、読書は作者の暗示にかかりにいっているようなものです。
そういった意味では、本作はちょっと私には難しかったようです。
実際、知らなかった言葉もたくさんあって、スマホで調べながら読んだので、勉強になりました。
文章を理論的に解釈できる左脳タイプの方には、読み応え抜群の作品だと思います。
私のように イメージだけで好き勝手に味わった気分になっている右脳タイプ人間には、文章を読み下すのがやっと・・・といった感じでした。
いい意味で、作者のナルシシズムがない作品なのかもしれません。
もっと どっぷりと、妖しく、美しく、凄惨に・・・
盛り上げようとすれば、いくらでも装飾過多に描けたはずなのですが、西條さんはそれをされなかった。
それは、上田秋成の国学者としての姿勢に敬意を払ってのことなのかもしれません。
例えば、P232の表現。
「胴震いが起きるほどに、壮絶なまでの美貌だった。・・・(略)・・・淫(おんなへんなんだけど、PCで出ませんでした(;^_^A)と呼んで差し支えないほどの、男の性に、本性に、切り込んでくる女そのものが、隠しようもなく匂い立つのだ。」
近代の文豪のような文章じゃないですか?
もっと読み手を暗示にかけるような、女の艶めかしい視線に 今まさに晒されているような表現もできるはずで・・・
『リング』『らせん』の鈴木光司さんなんかが、この辺は上手いです。
本を読んでいるだけなのに、ゾクリとして思わず後ろを振り返りたくなる臨場感があります。
そう、臨場感。
この作品、臨場感が伴えば めちゃくちゃ面白いんじゃないかなあ・・・
そんなこと言う前に、読解力を身に着けろとツッコミをいただきそうなので、
今回はこの辺で。
今回は消化不良だったので、原典の『雨月物語』にもチェレンジしてみたいと思います( *´艸`)