コロナ禍になって、西洋絵画を見られる機会がめっきり減ったので、
必ず行きたいと思っていました♪
会社員時代、「ミレーの『種をまく人』みたいな歩き方」と揶揄されてから、
ミレーにはちょっとしたご縁を感じているのです( *´艸`)
「種をまく人」や「落穂拾い」「晩鐘」などの名作こそありませんでしたが、
ミレーの作品数点を間近に見ることが叶いました。
しかし、「ミレーは間近で見るものじゃないな」というのが、実体験を通して得た感想です。
だって~、ミレーが描く背景の闇。
間近で見ると、怖いのです(;´∀`)
真っ暗ではない、黄昏時のような まだらな闇。
見つめていると、瞳が暗順応していく。闇に溶けていた物たちが、徐々に 浮かび上がってくる。
「部屋着姿のポーリーヌ・オノ」では、寝室の詳細が。
「慈愛」では、ひっそりと猫の影も。
これ以上見つめていると、見つけてはならない何者かと目が合ってしまって、
あちら側へ引きずりこまれてしまうような・・・
茫洋とした闇。
何に出くわすのか分からない不安が、人間の最も恐れるものなのかもしれません。
離れて見ると、白々と光が当たって 神々しく輝いて見える部分も、
近づいて見ると いろんな闇が滲んだ複雑な色をしています。
離れて見ると、対象がスポットライトを浴びる美しい絵。
一方で、近づいて見ると、空恐ろしさを感じていしまう。
仄暗い闇が キャンバスの奥にずっと続いているような・・・
画家は、キャンバスに至近距離で向かっているのに。
なぜ 離れて見た時に、最も鮮明に見える描き方ができるのでしょう?
背後3mの距離に、もう一対目を持っていたとしか思えません・・・(;´∀`)
絵筆を取りながら、視界だけをズームアウトして、全体像を見ることなど可能なのでしょうか。
ミレーだけでなく、絵画鑑賞をしていると、そう考えないと説明がつかないような作品に出会うことがあります。
人間の体の機能を超えて、視界のズームアウトとズームアップを自在に操れる人たちがいる。
まだ仮説に過ぎませんが、ミレー展で思わぬ閃きを得ました( *´艸`)
こちらの展覧会は、2021年7月19日まで、愛媛県美術館で開かれています。
モネの「睡蓮」も展示されていましたよ(^^)