こんばんは!
絶賛 繁忙期で、白目をむきながら働いています(*''ω''*)
夢の中でも仕事をしていて、日中も白昼夢の中にいるような・・・
「知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。」
(私が夢の中で胡蝶となったのか、私は実は胡蝶であって、夢の中で私になっているのか、分からない)
ああ、てふてふになって 春の花咲く野を戯れたい・・・
呑気にブログを書くくらい暇そうだな!というツッコミはご容赦下さい( *´艸`)
数少ない気分転換なもんで( *´艸`)
さてさて、仕事の合間のおやつに、相方が最近ハマッているのが、宿毛市の「高橋金星堂」の大判焼き。
立て続けに3回買いに行きました。
ぬくぬくで、餡子たっぷりで美味しいんだもの。
食べかけで断面がお見苦しいのが悔やまれますが、餡子たっぷりの断面、見る??
せめて手で割れば、もう少しキレイだったのに・・・
夢中でかぶりついたもんだから、こうなる・・・(;´・ω・)
でもでも、皮が薄くて、餡子がぎっしりなのが伝わったのではないでしょうか!
この餡子が、小豆の風味がとても濃くて美味しいのです。
甘さは控えめ、程よく塩気が効いています。
皮も甘すぎず、柔らかすぎず、素朴で美味しい。
「もちもち」や「ふわふわ」触感のスイーツが台頭するご時世、一周まわって、逆に新しい!
ぬくぬくの大判焼きにかぶりつけば、言語化できない本能の部分で、体が懐かしさに浸っている感じがします。
「思い出横丁」にありそうな、昭和初期を彷彿させる店構えも魅力的。
食べログより、お店の外観の写真をお借りしました。
ガラスの引き戸をカラカラと開けると、大判焼きの鉄板が目の前です。
お店のお母さんが、白い紙袋にひょいひょいっと入れて、袋の口を軽~くねじって渡して下さいます。
紙袋から、優しい熱が伝わってくる。
早く食べたい、早く食べたい。
「ありがとう!」
と踵を返したところで、車に引かれそうになりました(笑)
そう、ここは宿毛の商店街の角店。
店の目と鼻の先を、車が往来しています。
おやつばかりに気を取られていると、私のように死にかけますので、ご用心下さい( *´艸`)
このお店に来るたび、ドリアン助川さんの名作、『あん』を思い出すのです。
店の奥で、徳江さんがどら焼きを焼いているような気がして。
ここから 『あん』のネタバレ話をしちゃうので、これから読んでみようと思っている方は、引き返して下さいね(>人<;)
「すると、私はたしかに聞いたような気がしたのです。月が私に向かってそっとささいてくれたように思えたのです。
お前に、見て欲しかったんだよ。
だから光っていたんだよ、って。」
「私がいなければ、この満月はなかった。木々もなかった。風もなかった。私という視点が失われてしまえば、私が見ているあらゆるものは消えてしまうでしょう。」
「私たちはこの世を観るために、聞くために生まれてきた。この世はただそれだけを望んでいた。」
『あん』のこの表現は衝撃的でしたね〜。
真っ先に、量子力学の「観測者が存在するから、見られるモノが実在する」という「観察者効果」と同じことを言っているな、と直感しました。
「この世を観るために」と意図的に「観」の字も使われていますし。
「観察者効果」を知った時、ちんぷんかんぷんでしたが、『あん』の表現で一気にイメージが湧き、その世界の壮大さと恐ろしさにゾクリとしました。
すべては、私だけが認識している世界で、世界の方もまた、それを承知しているのだとしたら・・・
『あん』のラストシーンに浮かぶ満月が、神々しく、厳かで。
それでいて、ホログラムのように頼りなく、儚くて。
観られるためだけの満月は ただ無情に、私を見下ろすばかり。
私がどうなろうとも、ただ見ているだけ。
あまりに救いがないが故に、逆にそれが唯一の救いというか・・・
己の無力さに 諦めもつくというか・・・
なんだか生きることが 空恐ろしくなって、それ以上考えることをやめたのでした。
もしかしたら 私たちは、各々のホログラムを楽しむために生まれてきたのかもしれない。
ならば。
明日はどんなホログラムを映し出してやろうか。
もしくは 世界はどんなホログラムを見せつけてくるだろうか。
期待と不安を胸に、今日も眠りにつくのです。
明日も、明日のためだけに上映されるホログラムを楽しみましょう(*´꒳`*)
皆様、おやすみなさい・・・