東山魁夷せとうち美術館に行きました!

今回の旅で 私が一番期待していたのが ココです!

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東山魁夷せとうち美術館!!

 

このアプローチは 東山魁夷の絵画、「道」をコンセプトにしているのですが…

(この絵です↓)

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見事に芝生が 茶色いですね!

来る季節まで 考慮してなかったです(⌒-⌒; )

ちょっと 失敗。

 

私が東山魁夷を知ったのは、原田マハさんの小説『生きるぼくら』がきっかけです。

マハさんは ニューヨーク近代美術館のキュレーターをされていただけあって、絵画鑑賞の表現が 的確で大胆かつ センセーショナル。

取材もしっかりされているので、史実に基づいたエピソードを知ることもできます。

 

東山魁夷の画集を見た私は、エメラルドグリーンの表現がとっても 優しくてメルヘンな画家さんだな〜と興味を持ちました。

そんな折、たまたま「お宝鑑定団」で、彼の作品に1500万円の高値が付いたのです!!

 

「彼の作品を生で見たい」欲求は募り、ついに!

辿り着くことができました♪

 

生の作品の印象は、画集とは全く違いました。

これは、他の作家さんにも言えることですが、

生の作品には 波動があるというか…

そこから ビリビリと伝わってくる3次元的な 空間があって、その中に 鑑賞者である 私ごと巻き込んでしまう力があります。

 

彼の画集から感じていた、絵本のような優しさの印象が薄れるほどに、

本物の持つ 寂寥感に打たれました。

 

例えば、枯野の中で ふと振り返る 一頭の馬。

例えば、静かな湖畔に すくっと立つ木。

 

茫漠の宇宙に たったひとり、

夢とも現実ともつかぬ 浮遊感の中、

迷い子のような心許なさに 飲み込まれます。

 

自由は孤独と切り離せないことを、

彼は痛感していたのかもしれません。

自由に羽ばたける快感と

広すぎる世界に たったひとりの空恐ろしさと。

 

そう、生の絵が 画集と決定的に違うのは、その「広がり」なのだと思います。

額縁の外へ外へ、枯野は広がります。

壁の奥へ奥へ、森は続きます。

手前に広がる湖は 底知れぬ深さです。

そんな錯覚を覚えました。

 

そんな広がりの中で、ちっぽけな ひとりぼっちが、キリリと立ち尽くす。

それは、枯野の中で ふと振り返る 一頭の馬であったり、

静かな湖畔に すくっと立つ木だったり。

 

なんだか 若山牧水の短歌を 連想しました。

「白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」

 

背景に馴染まず 自立する「異端の存在」への

同情と憧れを 強く感じました。

 

東山作品で ほっこり癒される予定だったのですが、

なんだか 厳かな気分で美術館を後にしました。

 

今回の訪問は イメージと実物のギャップがあり過ぎて、逆に気持ちが良かったです!

これがあるから、美術館巡りはやめられません(●´ω`●)