「忙しい」を卒業します①

「忙しい」を卒業します。

f:id:conakichi:20181201195943j:image

自分の口癖を 振り返ってみた。
一番使っていたのが「忙しい」。

「今 忙しいから、落ち着いたら・・・」とか
「お互い 忙しいけど、体に気をつけて頑張ろうね」とか。

「今 忙しいから・・・」は、誰かの誘いや依頼を断るクッション言葉として便利だし、
「お互い 忙しいけど・・・」は 相手を気遣いつつ、話を〆る合図として便利。
深く考えることなく、多用していた。

そうしていつからか、「自分は忙しい人だ」と思い込むようになていた。
周りからも、「忙しいね~」などと 声を掛けられるようになった。
たかが一言の口癖。
それでも、私に「忙しい(と思い込んでいる人)」というレッテルを貼るには
十分すぎる力を持っていた。

「少しはのんびり過ごしたいな」なんて口にしながらも、
心の奥底では 忙しさから抜け出すことに、恐怖を抱いていたように思う。
忙しくなくなる=することがなくなる=仕事がなくなる
だと 思い込んでいた。

しかし、ふと疑問に思った。
「私は いつ忙しさから抜け出すのだろう?」
自分の中から すぐに答えが聞こえた。
「そんな日は、多分 永遠にこない。
 病に倒れて 寝たきりになる日か、ぽっくり死ぬ日まで」
ずっと「忙しい、忙しい」と言ってる人は
結局 いつまでたっても「忙しい」と感じ続けるのだ。

「忙しい」という言葉の裏には、
自分の to do リスト(やりたい事・やらないといけない事)に対して
「時間が足りない」という気持ちが潜んでいる。
日常的に「時間が足りない」と感じている人は、
新しい予定が入るたびに「ああ、やっぱり時間が足りない」と
「時間不足感」をどんどん深めていく。

当然 日を追うごとに 予定はどんどん増えていく。
スケジュール帳は たちまち真っ黒に追い込まれていく。
自由な余白のスペースは浸食され、身動きが取れなくなっていく。
いつまでたっても 時間貧乏を卒業できない。

このまま 仕事と日々の雑事に追われて、
憧れの場所に旅行も行けず、
気になるお店でランチもできず、
いつか食べたいと思っていた あのお店のケーキも食べられず・・・
やり残した事を いくつも抱えたまま
「忙しい、忙しい」と唱えながら おばあちゃんになって 死んでいくのは嫌だ!

という訳で、今日
「忙しい」を 卒業します。

f:id:conakichi:20181201200342j:image

さて、「忙しい」を卒業するためには どうしたらよいのだろう。
まずは、「自分は本当に忙しいのか?」考えてみた。

「忙しい」の意味を 辞書で引くと、
「急いでしなくてはならない事に追われて 休む暇もない。する事が多くて多忙だ。」
とある。

前職では、夜中の3時に家に帰って、2時間眠って また出勤、という時期があった。
朝の6時に出勤し、開店準備。
夜中の12時に店を閉めてから、閉店作業。
家に帰りつく頃には もう翌日の朝が 迫っている。
腰が砕けるほどに とにかく眠かった。

緊張状態が続いて 疲れ切っているのに、睡眠時間は取れない。
そんな状態だから 胃腸も働かず、食欲も湧かない。
昼にかきこむ弁当が 1日の中で唯一の食事だった。
このころは、本気で「会社に殺される」と思ったものだ。
この状況なら 堂々と「忙しい」と言い放っても バチは当たらないだろう。

それに比べて今は、 仕事は17時には終わるし、夜も平均7時間眠れている。
あれ、私 忙しくなかった。
自分で勝手に 「忙しい、忙しい」って思い込んでいただけだったのか。
なんだか 恥ずかしくなってくる。

ところで、「忙しい」は「せわしい」とも読む。
「せわしい」は 「せかせかする気持ちや ふるまい」のことを指す。
「せわしい」からは to doリストを効率的にこなせず、
本人の器から タスクがオーバーフローしてしまって あたふたする様が目に浮かぶ。
どうやら 私は「忙しい」フリをしていた 「せわしい」ちゃんだったようだ。

f:id:conakichi:20181201200516j:image

それに、もう一つ。
「忙しい」を愛用していた理由に気づいてしまった。

「忙しい」を隠れ蓑にして、私は「本当にやらねば ならない事」
「本当にやりたい事」から 逃げていたのだ。

「本当にやらねば ならない事」は 
なぜかいつも 困難で面倒なもの。
「あんまり 気乗りしないなあ・・・
 よし、とりあえず 部屋の掃除でもするか」
という 学生時代のテスト前夜のノリで逃げていた。

後者の「本当にやりたい事」から逃げる、というのは おかしな話に聞こえるが、
私は子供の頃から「本当にやりたい事」を伝えるのが 苦手だった。
「やりたい事」を優先させるのは わがままだと思っていたし、
「やりたい事」をやるのは
「やらなければならない事」を終わらせてから だと思い込んでいたのだ。
小学校の先生がよく言っていた
「遊ぶのは 宿題が終わってからね!」というセリフを
社会人になっても 忠実に守っていたのだ。

 

普通に生きている限り 雑事は増え続ける。
やってもやっても 「宿題」は終わらない。
いつの間にか、「遊ぶこと」は遠い未来に追いやられ、
「自分が何をして遊びたいのか」すら よく分からなくなっていた。
ただ、「今 頑張って宿題をこなしていれば、いつか 思い切り遊べる」と信じこんで
ひたすら 目の前に現れ続ける宿題の山を かきわけていた。
「本当にやりたいこと」は 「いつか 思い切り遊べるようになったら考えよう」と
とりあえず 脇に置いたまま、何十年も忘れていた。
もはや「本当にやりたい事」を考えるのさえ 億劫になるほどに。

ああ、「忙しい」という言葉の負のエネルギーって 恐ろしい。


やっぱり 今日
「忙しい」を卒業します。

f:id:conakichi:20181201200638j:image

大体、よく考えたら
誰かの誘いや依頼を「忙しい」と断るのは 失礼なことだ。
どんなに忙しくても、大好きな人からのデートの誘いだったら
なんとか時間を作ろうとするもの。
その努力すらせずに、「忙しいから」と一刀両断するのは
「あなたのために 時間を割く気はありません!」
と 相手を軽んじることではないか。

断る方としては、便利な言葉だけれど
相手に不快に思われたくないのなら、「忙しい」は避けたい言葉だ。

せめて
「明日までに仕上げるのは無理ですが、今週中に仕上げます」とか
「今日は無理だけど、月末の週末なら行けます」とか
こちらから 対応できそうな日を提示するのが マナーだと思う。

以上、「忙しい」に対する思い込みに気づき、
「忙しい」を卒業する決心をした話でした。
次回は「忙しい」を卒業するための具体策を考えます。